外国語教育
サンデェエゴはご存知のようにカリフォルニア最南端の街である。メキシコ国境までの方がLAへ行くよりも近いという場所柄、メキシコ系アメリカ人の児童はどこの街よりも多い。
私のクラスにもメキシコ系アメリカ人の子どもが何人かいるが、英語の方が得意という子供が少なくない。
子供に人気のある幼児アニメでは、主人公の女の子やサルが時々スペイン語を話す。
女の子向けの人形では、手を押すとスペイン語と英語を交互に話すようなものも販売している。
スペイン語での絵本も沢山あるし、歌やビデオも多い。
こういった身近なところから「外国語」を自然と耳にする子ども達は、ここサンディエゴには多い。
ある夏のこと、メキシコ系アメリカ人 ブルックが親から少しずつスペイン語を習い始めたのがきっかけで、彼女の仲良し友達(白人)たちも 自然に幼稚園でもスペイン語を使うようになっていった。
園庭遊びの自由時間には、勝手に「Only Spanish」などと決めてスペイン語のみで会話をして遊んだりしている。まるで タ○リ&さ○まの「ゴルフ大会」のようである。(笑)
本当にスペイン語なのか私にはわからない文章で、ああだこうだと話し合っているのは、子どもながらに感心する毎日であった。
私のパートナーの先生はスペイン語と英語のバイリンガルなので子ども達は彼女からスペイン語も教えてもらうようになった。子ども達も自然と "How do you say 'Milk" in Spanish?" (ミルクってスペイン語ではなんて言うの?)と色々な単語を知りたがった。パートナーの先生は、毎日のランチメニューをスペイン語で言ったり、あいさつ、色、数え方などを日々のスケジュールやアクティビティから教えていった。
そのときの実習生がメキシカンだったため、彼女はサークルタイムではスペイン語を教えるようになった。クラスにはスペイン語が溢れていた。
私も 「ケパソ?」(どうしたの?)「アディオス」(さよなら)「オラ」(こんにちは)「オッブリガドゥ」(ありがとう)など子ども達と一緒に覚えては日常生活で使っていく。時にはブルックに聞いたりもする。彼女は先生に物を教えるなんて、誇らしげだった。私の周りにはスペイン語の先生になってくれる人が大勢いた。
その一方で私は、ごく日常で紙芝居を使ったり、日本語の歌のCDもよく教室に流していた。
子ども達はごく自然に日本語にも興味を示してきた。「XXX は 日本語でなんと言うの?」という質問も増えてくる。
これは良いチャンスだ、と思った。決して大人から無理やり覚えさせるのではなく、子供がこうやって興味を示したときこそ、外国語を教えるチャンスなのだ。
私は、クラスの子ども達に日本語で「キラキラ星」を教える事にした。そして父兄達に披露できたらいいなと密かに願っていた。キラキラ星を選んだ理由は、@私がCDを持っていたこと A英語版でもあるからリズムは既に慣れ親しんでいる曲であること B日本語の歌詞は繰り返しが多く易しいこと、からだった。
毎朝、CDを聞きながらサークルタイムで歌ってみた。振り付けは私が勝手につけた。指遊びのように、体で覚える振り付けがあると歌も覚えやすいからだ。子ども達は 私が想像するよりはるかに「アインシュタイン」だった。なんとこの歌詞を完璧に3日間で覚えてしまった。まだ文字を読む事ができない子ども達、耳を頼りに完全に暗記してしまったのだった。
日本語版「キラキラ星」は、子ども達の間でヒットした。アクティビティの間にも この歌を流すと皆立ち止まって歌いだす。体がまるでそれを聞くと踊りだすようだった。ブルックが言った。「ちゃんと覚えてマミーとダディ―を呼んでお披露目しようよ!」
・・・流れは私の予想通りに動いていった。
Bye はサヨナラ、Hello はコンニチワ、Thank you はアリガトウ・・・子ども達は少しずつ日本語の言葉も覚えていった。「私たちはスペイン語と日本語と英語も話せるんだよ!」と、子供達は自分を誇らしく言う。私もそんなクラスの子ども達が誇らしかった。
教える事が毎日楽しく、日本語を覚えてくれることに私の心が躍った。
アメリカで幼稚園教師として働く事になり、何か私にしか出来ないオリジナルの教育ができたら。。。とずっと思っていた。アメリカ人教師には出来ない私らしい教育・・・。
そして、この子達が大きくなったとき「ああ、私の幼稚園時代の先生はジャパニーズだったな、優しい良い先生だったな。」と思ってくれたら、どんなに幸せかと思っていた。私を日本人の先生として好感を持ってくれ、また今後知り合った日本人を始め外国人に優しくなってくれたら、私らしい教師としての努めが果たせるであろうと考えていた。
それでも日本語や日本を教えずして、「私と日本」は結びつきがたい。しかし、アメリカで英語にて教育している以上、あまり日本語日本語というのは押し付けがましく、難しかった。私は子ども達が「外国語」に興味を示す、外国語という存在を知る年齢になるまで待ち、そしてその時が今来たようだった。
私はごく自然に子ども達の興味の流れに沿って、日本語を取り入れることが出来た。それはまさにレジオエミリア教育だった。
パートナーの先生は、「Itzy Bitzy Spider」 をスペイン語で子ども達に教えた。これもあっという間に覚えていった。当然、私もスペイン語での「Itzy Bitzy Spider」を習得し、子ども達と一緒に歌う。そして私たちは手話での「The More We Get Together」 という歌も教え、父兄達にお披露目パーティをすることになった。夏の終わりのことである。
大勢の父兄達が、ポットラックとビデオカメラを用意して集まってくれた。子ども達は、日本語「キラキラ星」、スペイン語「Itzy Bitzy Spider」、そして手話にて「The More We Get Together」を大きな声で披露した。大きな拍手が父兄達の間で沸いた。
「うちの子、家でもこの歌毎日歌うから、私まで覚えちゃったのよー。」と一緒に歌いだすママ。
「知らない言葉でいつも歌ってるから、一体何と言ってるんだろうと思ったら これだったのねえ。」と話すママ。
「日本語でうちの子があんなに歌えるなんて、感激だわー。ホントに教えてくれてありがとう。」と1人娘の初めての幼稚園での体験に感動するママ。
みんな 私とパートナーのしてきた教育に感激ムードであった。私たちが教えてきた事は、きっとこの子達が大きくなってからも なんらかの形で影響してくるであろう、それは前向きであってほしいと願う。
「アメリカ人は外国語を習いたがらない。話せない。」というのは、小さな子ども達には当てはまらない。子ども達は何にでも好奇心旺盛で、覚える事に貪欲な日々を送っている。小さなうちから色んなことを体験させて、経験させてみよう。そして 大人である私たちも一緒に学習していこう、小さな「アインシュタイン」たちと一緒に。。。。
色・形などをその通りにコラージュしていく観察アート。(3才後半の能力)
子どもの名前は仮名です
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