子連れ里帰り'04 @
今年も行ってきました 1ヶ月の日本滞在。
<今年もJALで>
今回も おそらく最後になるであろうから、席はべべの分は取らず、1席分しか購入しなかった。ただ、1歳半になってもべべの体重は9Kgはなかったため、一応バシネットも予約しておいた。
「1歳すぎからのバシネットは、予約できますが確実に取れるかどうかはわかりません。」とのことだったので、当日まで分からなかったが、当日早めの手続きをすることで、行き帰りともバシネットは確保できた。
行きの便は、今回SDからの乗り換えにした。なぜなら、今回は平日便だったので、夫の仕事の前に送ってもらいたかったし、LAまでの長距離運転で、寝て欲しくなかったからだ。寝るなら、機内で存分に寝て欲しい。だが、あの2時間のドライブ、寝ずに過ごすには幼児にはきつすぎる。
理由は他にもあった。こちらから日本へ行くときには、トランクはそのまま預け、成田で引き取ることになる。だからLAXではトランクかかえる必要なかったし、LAXは毎度のことながらいつも荷物検査など、非常に混雑して時間もかかるため、SDの小さな空港でそれらを済ませたかったのだ。
SD空港のチェックインでは、一応「もし可能でしたら、隣の席を最後までブッロックしておいてくれませんか?」と頼んだ。SD−LA間のフライトは約40分と短いので、無理なら別にかまわないのだが、空いてるならそうして欲しかった。機内に入ると、私たちの席は1A、つまり一番前だった。両側2席ずつの、わりと小さな飛行機。ずっと最後まで誰も隣にはこなかったため、「あ、これはきっと空けてくれるかも!?」と思ったら、一番最後にビジネスマン風の男性が隣に座った。私はべべをひざの上に座らせ、シールで大人しく遊ばせた。
フライトアテンデンスの男性が、「後ろの方には、まだ席が空いています!どなたか移動できますかー?」と叫んだ。
そして隣の男性らを含む数名は移動してくれたため、隣の席にべべを座らせて窓から空を見させたりすることができた。
べべは、この年齢になり、飛行機をみては「わーお!!」と叫んだり、空からみる地上を楽しんでいた。
そして、乗るときも降りるときも、見知らぬ男性が、すっと荷物を運んでくれて、ベビーカーを女性がもってくれて、本当に助かった。いつもアメリカでは、沢山の手を貸してくれる。これが成田では、日本では、皆無なのだが。。。
40分と思っていたフライトもわずか22分で、LAに到着である。
JALでは、去年春からファミリーサービスが、JAL会員のみになってしまっていた。会員になるには、年間費30ドルが必要で、マイレージなどが、家族共同で溜められる。(米国在会員のみ)
30ドルということは、(年1回しか利用しないから)1回30ドルのようなもんだが、それでも払ってもファミリーサービスを使いたかった。やっぱり母子のみの里帰りには、とってもありがたい存在なのである。
LAまで無事着いて何事も順調に行ったと思われたが、LAXでは私の名前が放送で呼ばれてしまった。「至急JALカウンターまで来て下さい」とのこと。何事かと思ったら、どうやら私が土産として持って行ってた、フレグランススプレーがひっかかったようだった。母に、「いろんな人にあげたいから」と頼まれて7本くらい持っていったのだが、これら全部取られてしまった。
ちなみに、これUSでは1本約1ドルだが、日本ではソニプラで550円くらいで売っている品である。(涙)
日本に行くJALは午後1時半発。つまり昼間の便である。べべは、ずっと昼寝してなかったので、悪いことにLA空港で待っている時に寝てしまい、搭乗直前の10分前に起きてしまった。
機内には、べべのほか3人くらいの幼児がいて、あっちで泣いたらこっちで起きて。。。などやって、長時間は寝てくれなかった。それでも3回寝ただろうか。今回、歩き回るのでは?と心配したが、これで5回目のフライト、1歳ながらにして分かっているのだろうか?ほとんど歩き回ることが無かった。
ぐずったら、後ろのトイレのほうの空いているスペースにいって、窓から外みさせたりした。そのほかは、私の席の下に座って、大人しくおもちゃや絵本読んだり、シールで遊んでいた。
1歳半の現在、牛乳を1日4,5カップ飲むのだが、牛乳は機内にあるし、温めてくれるので、持って行く必要がなかった。(ボトルは必要)ただ、空港内で、「Su"t Su"t (スー スー)」と牛乳を飲みたがったため、1本だけ牛乳入れて持っていったのが良かった。すぐ近くのカフェへ駆け込んで、温めてもらいそれを飲んで満足した。
総合的には、周りに居る幼児よりもずっと大人しくしてくれていたので、助かった。
が、私は気をつかってか、もうへとへとだった。
成田では両親と叔母さんが待っていてくれて、夕方無事到着。
その後食事して、べべは自宅へ帰る車の中でおやすみ。割とすんなり時差ぼけに対応していきそうだったのである。
次の夜、こんなことになるとは、このときはまだ予測もしていなかった。
<Aへ続く>