感謝の気持ち
みなさんにも分かるよう 私は子どもが大好きだ。
だから、自分に子どもができたらどんなだろう?といつも思っていた。
「おなかを痛めた子どもは、どんな子どもでも可愛いもんよ。」
「自分の子どもはやっぱり可愛い。」
口々に みんながいう。
(他人の子どもでもかわいい子は可愛いよっ!クラスの子ども達も同じ位可愛いよっ!)
・・・と、私は内心思っていた。
そして、実際べべが生まれて、(ああ、親の愛ってこういうことをいうんだったのか!)とやっとわかった気がする。他人の子どもでも同じように可愛いと思っていたなんて、浅はかだった。
確かに、クラスの子ども達は、他クラスの子どもより可愛い、と思う。それは、懐いているからでもあるし、子ども達の性格や気分などすぐにわかるからでもあるし、1−3年を一緒に学校生活送ってきてそれなりの愛情というものが芽生えるからでもある。
しかし、自分の子どもというのは、その子の「一生」を責任もつのである。
教師というのは、1年や2年で結局クラスメートが変わっていき、新しい子ども達がどんどん入り、大きくなったコは卒園していく。そこで自分の「責任」は終わってしまうのだ。(あのコは今どうしているかな・・?)と思うことはたまにあっても、クラスに居た時とは同じ気持ちで想う事はできない。クラスの子ども達はこうしてどんどん変わっていき、それぞれにみな平等に愛情を注いでいくのだ。
生まれたばかりのべべに対しては、ただその状態(姿)が「可愛い」だけであった。だが、数ヶ月生活を共にしていくうちに、「この子が大きくなったら・・」と先のことを考えるようになっていった。
赤ちゃん時代はすぐに終わりがやってくる。これから先、大きくなっていつか手に負えず悩むときがくるのかもしれない。それでも我が子は「愛しい」のであろう、これがみんなが言っていた意味なのだろうと、私はやっと分かったのである。
どんなに可愛い顔をしたブロンドの女の子でも 決してべべと取り替えることなんて出来ない。取り替えたくない。泣いた顔も可愛い、ぐずぐず言って、ママじゃないとだめでも可愛い、他人に抱かれてママの顔見えなくても全然平気だと、ちょっと寂しい、そんなもんなのだ。なかなか寝ないで何も出来ずに、やっと寝てくれて自分の事ができると思ったら、今度は「まだ寝てるのー?」とそわそわしてしまう。
べべが生まれてから、私の両親はそれはそれは喜んだ。可愛い孫と24時間一緒に居たい、と一緒にいるときはお風呂や離乳食など全部やってくれる。毎日写真を持って歩き、周りの人に見せては「うちの孫なの〜」と自慢する。(笑)「沢山の赤ちゃんみたけど、やっぱりべべちゃんが一番顔がいいわね。」とすっかり親ばかならぬ ばあば馬鹿である。そんなばあばとじいじにニコニコ笑顔を振りまくべべ。
こんな小さなべべには、両親をいきいきとさせる大きなエネルギーがあることを知った。
私の母は、私が幼児のときに着ていたロンパースをずっと大事に取っておいてくれた。「もし娘が出来たら、着させてあげようとおもって。」といって古い型のロンパースを差し出す。古いけど、綺麗にしてあって穴などない。
実家には私の赤ちゃん時代のアルバムが沢山あり、それを見て色んな話を聞かされた。1才までには1人で歩けなかった事、でも言葉は早かった事、私ができて両親祖父母、みんなが喜んだ事、おばあちゃん子だったこと。。。アルバムには細かくそのときの状況が書かれていた。「○月●日 よく寝てる、いい子ちゃん・・・」毎日毎日細かく書かれていて、その時 私は分かったのだ。母がどんなに私に愛情を注いでいたかを。。
不思議だけど、今のいままで、自分の生い立ちにはあまり興味がなかったし、話を聞く事もあまりなかった。
自分の生まれた時の体重さえも知らなかった。
母がちゃーんと覚えていてくれて、私のロンパースやお宮参りの着物などを、大事に取っておいてくれたことに感謝した。
子どもが生まれて分かった事は、子どもへの愛情だけではない。こんな気持ちで両親は私を育ててくれてきたのか、という感謝の気持ち。
「子どもが出来ると親の気持ちが分かるよ。」母はずっとそういっていた。
べべが生まれてしばらくは、その言葉の本意が理解できなかった。(そんなの、いつも感謝していますよ)私はそう思っていた。
違う、そうじゃない。ただ単にありがとう、という感謝だけではない気持ち。
上手く説明できないけれど、今やっと本当にわかった気がする。
誕生日を迎えて、自分が生まれてきたこと、そして自分がこうして娘を産んだ事、それに感謝する。
お母さんがいたから、私が生まれてきたんだね、べべが生まれてきたんだね。
そんな単純なこと わたし 今 気付いた。
べべは、私に沢山のことを教えてくれた
べべが私の子どもで本当に良かった
ありがとう・・・
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