現地園での日本キッズ その3(ひとみちゃんの場合)
ひとみちゃんが京子ちゃんらがすでに居る年、日本からやってきて入園をしたのは3歳の時だった。お父さんの駐在でやってきて、1歳の妹は1歳クラスに、3歳のひとみちゃんは私のクラスで担当することになった。アメリカにはすでに半年住んでいたが、家庭内の言葉は100%日本語、アメリカ人との交流はなく専業主婦の母親は英語が話せないため、ひとみちゃんは日本の同年齢の子供レベルの日本語はでき、英語はまったくゼロに等しかった。
日本では園経験がなく、今回がまったく初めての「ママと離れての学校生活」である。入園前に何度かクラス訪問した際には、ほとんどママの隣にべったりで、私が日本語で話しかけても話すことは無かった。
入園初日、当然そうなるものとわかっていたが、ひとみちゃんもワンワン泣いてそれは大きな声で泣き叫んでいた。「おうちに帰るの!おうちに帰るの!」と日本語で私に訴えるのだが、私は「まだ帰れないよ。お母さんすぐ来るからね。」と答える。
あまりに大きな声で泣くので、クラスの子供たちは "Why is she crying?" (なんで泣いてるの?)と私に聞き、 "Your mom is at work." (君のママはお仕事だよ。)と、自分の親がそうであるためいつも先生から言われているセリフを彼女に言ってなぐさめる子もいる。ひとみちゃんにはその英語の意味は分からない。大声で泣くのをやまないため、クラスの運営が出来ず、パートナーの先生が園庭へ連れて行って散歩したり、抱っこしたりリフレッシュをし、私はクラス運営を続けたり、または交代で同じことをやったりしていた。そんなことが1,2週間も続いた。
子供は必ず慣れるもので、あんなに泣いていたひとみちゃんも泣くのは朝だけになり、その後は1人で遊ぶようになった。「アートやる?」といえばこくりとうなずいてアートやったり、「こっちでパズルやる?」といえば、ずっとパズルをやっていた。クラスに多少遠慮しているようで、自分で自由に行動して遊びを選択するようなことはなかった。園庭時間には京子ちゃんに会えるため、日本語でおもいっきり楽しんでいた。
園にもすっかり慣れた3ヶ月後、ひとみちゃんはクラスのアシュリーと遊ぶようになった。初めてのアメリカ人のお友達である。アシュリーは、いつもと変わりなく英語でひとみちゃんにあれこれ話しかけ、おままごとを進めていく。ひとみちゃんから英語が出ることは無かったが、次第に "Oh, no!" "Yes!"などアシュリーのまねをして英語を口にするようになった。
英語を学んで欲しいと願っていた両親は喜んだ。家でも学校で今日は何をやったとか話しているようだった。
ひとみちゃんはかなり頭の良い子だと思う。英語はあまり口から出ないが、Apple、Car、Catなど、私が点々で紙に書き、それをなぞって文字学習するのをかなりの時間集中してすることができた。また自分で書いたAppleという文字をみて、私が "What's this?" と聞くと、「アプル!」と英語の発音で答えるようになった。アクセントがややあるもののアップルとは答えない。ちゃんと分かっているのである。
またABCをすべて書くことが出来、3才レベルの社会性、協調性、ビーズでネックレスを作ったりのファインモータースキルなど、全部クリアしていた。ABCは歌えても書けない子が アメリカ人でもこの年齢にはほとんどであるのに、あいうえお、の日本語もABCも書けるのはすごいことだ。
6ヵ月後にはぐんと会話も上手くなっていった。ひとみちゃんは会話のセンテンスを、友達から吸収しているようで、友達が"
OK, let's go there!"というと、 "let's go there!" とコピーする。これを今まで続けていたので、6ヶ月後にはいろんな言葉をセンテンスそのままでおぼえていった。
この時点では、周りのクラスメートも ひとみは言葉がわかるんだ、と認識していた。
園生活というのは、先生や学校のアクティビティから学ぶものより、時として友達たちから学ぶことの方が早かったり、多かったりするものだ。
まだまだこれからいろんなことを英語で学んでいく時点で、お父さんの転勤によりひとみちゃんも他州へと引っ越すことになってしまった。しかし次の新しい園ではきっと上手くやっていけるだろうと思う。
最後の日、まだ引っ越すという状況をよく分かってないひとみちゃんは いつものようにバイバイと手だけ振って帰って行ってしまった。
子ども達の名前は仮名です
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