現地園での日本キッズ その2(京子ちゃんの場合)
京子ちゃんがまさひろ君のいるクラスへやってきたのは、4才ちょっと前の時のこと。
彼女は、入園する前に長いことお母さんとクラスにやってきては、体験入学を1ヶ月くらい続けていたのだが、いざお母さんなしでの学校生活が始まると、それはものすごい勢いで1日中泣いていた。
あまりにも長い間お母さんと一緒に学校へ来ていた為、彼女にとっては「学校にはお母さんがいるもの」と思っていたのだろう。過去エッセイ「初めての幼稚園見学」でも書いたように、これは非常に逆効果であり、後々の学校生活に慣れるまで余計時間がかかってしまうケースが多いのだ。
彼女はワンワン泣きながら、いつも教師の後をついて回ってシャドウーと化していた。勿論、他のコと遊ぶ様子など見せなかった。
2、3ヶ月が経ち、ようやく時間を掛けながら学校生活に慣れていくと、実は彼女が英語を殆ど不自由なく理解し会話が出来る事に気づいた。発音にアクセントはやや見られるものの、他のコや先生の言っていることをちゃんと理解しているようだった。
このコの母親は、かつて米国での留学経験を数年していたらしく、日常会話での英語に問題ない。そして父親もここで働いている日本人な為、英語ができ、そのためこの両親は共に日本人にも関わらず 家庭では英語で育てていたようだった。だから、京子ちゃんは日本語より英語の方がやや得意としていた。
慣れてくると、日本のコはとても扱いやすい。彼女は活発で、アメリカ人の子ども達とも楽しく遊ぶ一方、まさひろ君とは日本語で会話をし、4才を過ぎてから学校を楽しむようになっていった。
学校のない日などには、日本人の友達やアメリカ人の近所の友達たちとバランスよく遊んでいるらしく、京子ちゃんの英語力・日本語力は日に日に上達し、5歳を向かえるキンダーにいく年齢になるころには、私が教えてきた日本人の子どものなかで一番の「バイリンガル」になっていた。
バイリンガルになるために、京子ちゃんは家庭ではフォニックスを使って学習していたようだ。日本語の勉強は、日本のビデオや絵本、それから家族内での会話からのようである。母親とは、英語か日本語で、父親とは日本語で、姉弟では英語で会話を使い分けていた。
私とは日本語でよく会話をし、口語がとっても上手だったが、分からない単語があると "あのね、あそこで grass hopper 見たの。”と英語を使う。「grass hopper は バッタだよ。バッタって言ってごらん。」と私が答える。すると、「バッタ」といい、次のときには「バッタ」という単語も使えるようになっていた。このコは、言葉を吸収し覚えていくのが早いのだろうと思う。
英語でも日本語でもニコニコ会話をする京子ちゃんとの会話は、私にとっても 楽しいものであった。
年に1度は日本へ帰り、従姉妹やおじいちゃん・おばあちゃんと日本語での会話を楽しんで帰ってくる。こっちへ帰ってくるたびに、彼女の日本語はどんどん上手になっていて、また英語を忘れる事もないのですんなりと学校生活に戻れるようだった。
今後、彼女は現地校での学習が始まる。キンダー、エレメントりーと上がるごとに読み書きも増え、英語での新単語も増えていく。私は、彼女の日本語はここからが勝負だと思う。
これから、どうやって日本語会話力を維持しながら、さらに読み書きまで教えていくか、英語での学習も現地の子ども達レベルに合わせながらのバイリンガル教育は、かなりの努力を要するだろう。
だけど、頑張って欲しい、と願う。これだけ日本語が話せるのだから、日本人として母国語を大切にしていって欲しいと、これからの京子ちゃんに期待をかける。
子ども達の名前は仮名です
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