個性を育てる
数年前に教授がしてくれた話を 私はいつまでも忘れる事ができない。
それはこういった内容だった。。。。
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ある幼稚園のクラスで 落ち葉のコラージュをしていました。白い大きな用紙に 枝と木の形をした茶色い紙がのっていて、子供達は 赤や黄色や茶色の紙を自由にちぎって葉に見立てて 糊付けする、というアートです。
大抵の子ども達は、赤や黄色の紙を用紙いっぱいにあちこちへと貼り付けていました。
なのに、A君は、赤い紙を小さく 小さく 小さくちぎって、それをポツンと白い用紙の端っこに張り、
今度は黄色い紙を小さく 小さく 小さくちぎって、それを小さな赤い紙の上に貼り、
小さくちぎっては、それをまた上に重ね 張っていました。他のどこのスペースにも張らないで ただひたすら同じ場所に重ねていくので、そこの部分だけが盛り上がるように どんどん高くなっていきました。
先生は見かねて言いました。
「A君、窓から外を見てごらん。落ち葉はそうじゃないでしょう? もっとあちこちに落ちているでしょう?」
とA君が小さく 小さく 小さくちぎった紙を取り外して、あちこちにばら撒くように貼り付け 落ち葉らしく直してしまいました。
A君は、それ以上、紙をちぎるのはやめてしまいました。
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アートは算数とは違う。
アートというものに「正しい」とか「正しくない」というものはない。アートは個々の心や感情・感性・発想から生まれ出てくるものであるから、そこは誰もが個性的で自由な世界のはずである。
しかし満足しない大人がいる。
大人はいつも 子どものアートに対して口を出したり手を加えたりしがちである。大人がみてそれ「らしいもの」に仕上がって欲しいと手を加えてしまう。「キリンだったらもう少し首が長いんじゃないの?」「リンゴを描くなら色は赤でしょう?」キリンの絵がロバになると大人は満足しない。リンゴが黄色で描かれると、例え実際に黄色いリンゴが存在するとしても不満が残る。親子参加でアートすると、場合によっては親があれこれ手を加えて「親が作った」作品になってしまうこともある。
見た目にはキレイな作品になったが、はたしてこれで 子どもは満足するのだろうか?
父兄も教師も 大人からみて「サマになる」作品は誉め、そうでないものは「こりゃ、才能ないなあー」と(言わなくとも)思ったりする。幼児期のアートは、Product(作品)よりもProcess(過程)が大事だということを忘れてはいけない。 3歳までの幼児は少なくともどんな作品になったか、よりも 手で触って描いて、捏ねて、匂いを感じて。。。といった作品を造るまでのProcess(過程)が面白くてアートを作ることが多い。4歳あたりになってくると、だんだん自分がどのように仕上げるのか、ということまで考えられるようになってきて 子どもによってはProduct(作品)として大人がみて満足できるものを作れるようになる。だが、そうでない子だっているのだ。
A君は、見た目では「らしくない」落ち葉の風景をコラージュしたかもしれないが、彼は 他のどんな子よりも小さく小さく紙をちぎって、それをまた同じ個所に貼り付ける、という器用なことをしたじゃないか。これはFine Motor Skill (*1)が優れている証拠で、同じ個所に落ち葉を貼り付けるというのは彼らしい個性の出たアートなのじゃないか。
日本の幼稚園児は、アメリカの幼稚園児よりも 絵が上手だと私は思う。4,5歳になってくると、日本の子は大抵顔、首、胴体、手足、と上手に人間の姿を描く事が出来る。アメリカの子で同年齢では、首まで描く子は少ないし、まだまだ手足が顔から出ていることが多い。
しかし 日本の子どもの絵は皆上手だが、どれも同じような絵に見えるのは私だけだろうか?アメリカ以外にも なかなかユニークな発想の絵を描く子は外国に多いと思うのは私だけだろうか?
「個性を育てる」というのは、小さなことの積み重ね。アートくらい好きに自由に描かせようよ。そしてそのユニークさをとことん誉めようよ。
それが人間の個性をユニークにさせるのだから・・・
(*1)Fine Motor Skill ・・・はさみを使いこなせたり、字を書いたりといった細かい手先の能力のことを指す。
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