暴れんぼうオースティン (ADHDについて)
オースティンが、うちの園に始めて訪れたのは 去年のことだ。4歳のオースティンは、そばかすのあるちょっと舌ったらずの男の子だった。始めての登園日というのは、誰もが緊張する。父兄も、子供も、そして先生も・・・。誰もが、まだ知らない者同士で、数時間を共に過ごすことになる。1日中泣いている子もいる。指をしゃぶって、黙って他の子の様子を見ている子もいる。そんな状況のなかで、先生は普段よりちょっと優しく、クラス内を案内し、スケジュール通り、絵本を読んだり、外で遊んだりする。言葉を交わし、コミュニケーションを図ってゆく。そうやって 少しずつ子供と先生の信頼関係を築きあげてゆくのだ。
多くの子供達が、緊張の初登園を過ごす中、オースティンは 最初の日から、クラス内を駆け回っていた。物怖じすること無く、アートやブロックなど目新しそうに、遊具を楽しんでいた。クラスの子供たちと、ゆび人形でやりとりし、"Are you my frined?"などと話していたので、そのあまりの社交能力の高さに私達は 驚き そして安心したのだった。
そんなオースティンが、実は社交的なだけでは無い事が後日、すぐに分かった。彼は、多くのクラスメートと遊ぶと同時に友だちを押したり叩いたりして、泣かせたり、他の子供が使わないような言葉を言って、友だちを泣かせていた。その攻撃的な態度は日に日に増し、先生の言うことなどなかなか聞かず、静かに皆が昼寝をする中、叫び回ったりしていた。彼から怪我を受ける子供が増え、毎日のように、アクシデント・レポートを書く日々に変っていった。彼は存在感のある子供だったので、クラスは全体が暴力的になり、悪い言葉を子供がマネするようになっていった。
私達のオースティンへの「要チェック」はすぐに始まった。どんな事であれ、暴力を使うのは許されないことであるから、彼が他の子供に怪我をさせる前に阻止しなければいけない。常に、彼には目を光らせる毎日が続き、先生達にもストレスが溜っていった。
私はオースティンの暴力から他の子を守る為に、「友だちになる作戦」と使った。私と一緒に居る事により、彼は他の子から距離を置く事になる。もし、クラスメートが一緒に遊んでも側にいれば出来るだけ、暴力から阻止することが出来ると思ったからだ。
園庭遊びの時間には 特に、彼にくっついてまわった。彼は、最初逃げてまわった。
「オースティン、一緒にあそぼうよ。」と私は言った。
「なんでボクと一緒に遊びたいの?」と彼に聞かれた。彼は 先生というのは、自分には怒ってばかりだというのを理解している。彼にとって、先生はじゃまをするやっかいな存在だったのかも知れない。
私は彼の質問に、「だって、オースティンの事が とっても大好きだから、一緒に居たいんだよ」と答えた。彼の表情がふっと、変った気がした。彼は、「・・・オーケー、じゃ、砂場へ行こうよ」と、私の手をひっぱった。
それ以来、彼は私を見掛ける度に、「ハ〜イ!」と笑顔で駆け寄ってくるようになった。私も ぎゅうと抱きしめて挨拶をした。
それでも彼は時々、癇癪を起し、担任の先生たちを困らせた。彼の暴力は なかなか 直らなかった。
オースティンは、医者や専門家の診断の結果、ADHD (Attention-Deficit Hyperactivity Disorder)
[注意欠陥・多動性障害] ぎりぎりのボーダーラインの子供だということだった。
ADHDというのは、身体障害者というのではないが、中枢神経障害などが要因にあげられるらしく、「精神年齢に比して、不適当な注意力障害、衝動性、多動性と示す行動障害。注意力障害と多動性を伴せ持つ場合と、どちらかが主症状の場合がある」(U.S.Frontline参照) つまり、名前通り、ハイパーで落ち着きが無く、他人を妨害したりすることが多い症状のことである。
この症状をもつ子供は、アメリカでは小児の3ー5%と推定されており、男女の比では、4ー6:1と 圧倒的に男児に多く見られる。ADHDの子供というのは、見掛けも回りの子供となんら変わりがないため、大人には「注意力の欠けている子」、「暴力的な子」と思われがちで、マイナス・イメージを持たれやすい。一度 こういったレッテルを貼られた子供は誉められる事より叱られる事の方が多く、回りの子供たちにも「悪い子」と思われてしまう。ADHDの子供は、特別な教育指導の元で教育したのなら上手くいくし、ただ人より時間がかかったりするだけで、「悪い子」でも「乱暴な子」でもないのだ。
今年の始めに、オースティンは、園側にでていく事を宣告され、出て行ったと聞かされた。もちろんそれまでに、何度も親と、担当教師たちと、ディレクターと専門家がオースティンについて話し合う場が持たれたようだ。その結果、彼は 少人数制の園で指導したほうが良い、ということになったのだ。
アメリカの園では、Drop out、つまり退園を告げることもありうる。他児童や 遊具に危害を加える場合など、ドロップアウトの対象ともなりうる。裁判の多いアメリカでは、怪我など被った子供の家族から訴訟を起される場合も無くもないし、その矢は危害を加えた子供、担当教師、園やディレクターに向けられる。そういうことを防ぐためにも、ドロップアウトは ある意味 両方の子供たちや教師を守る為にある。
今回のドロップアウトは、暴力化していくクラスのため、そしてオースティンの教育向上のためでもあるようだ。彼は現在、8人制の少人数クラスの中で、やっているらしい。彼のお得意の社交性の良さで私に懐いてくれたこともあって、ドロップアウトを聞いた時には、「もう少し、ここの園でやってゆけなかったのだろうか?」とも思った。彼には時間も必要だったのではないか、と考えた。
今、思うと 彼は 「彼に見合う教育環境を選んだ方が、彼の為なのだ」と思える。短い園生活なのだから、見合う環境を早く見つけて移動するのが、良いのかもしれない。
私は、今の園の方針を全面的に信頼しているし、理想だと思っている。4歳から6歳クラスでは、教師2人が、1:10ー12の割合で子供達を見ているのだから、決して 割合が高いわけではなく、むしろ少ない方ではないか、と思う。それでも、オースティン1人に 先生が常に つくことは非常に難しく、そして、オースティンは特別な Attentionが 必要だったのだ。
どんなに良い環境でも、それに合わない子もいると理解できるようになった。オースティンは、彼に合う環境を選んで、今ではきっと 沢山 誉められて過ごしているのかもしれない。子供には、色々な子供がいる。理想の教育とは、1人1人と教育環境とが マッチした時に そう言えるのかもしれない、と思った。
子供の名前は仮名です
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