テロ爆破事件3(その後)
サンディエゴというNYからはほど遠いこの街の私の子ども達でさえ、その後の変化が多少みられた。
ある女の子は救急車や消防車のサイレン音が聞こえると じっと耳をすまし立ち止まった。「消防車はあのビルへ行くんだよ。飛行機が落ちたから・・・」私に真剣な顔でそう話す。
何人かの子ども達は、あれから昼寝の時間になると悪夢をみるようで夢の中で泣いている。泣いて起きることもある。
子ども達は日ごろは いつもと変わりなくニコニコ過ごしているが、やっぱり心の中で得たいの知れない不安に襲われることがあるのだろうと思う。
今年4才になるジミ―は あれ以来 事あるごとに"A bad guy killed a good guy." (悪いヤツが良いヤツを殺したんだ。。。)というようになった。
遊んでいても何も関係のないときに この言葉を何度か口にしていた。親がそう事件について説明したのかもしれない。だが、今回の事件は スパイダーマンやスーパーマンのようにただ単純に「良い人」と「悪い人」の問題ではない。
たとえ4才だからといっても Good guy と Bad guy という説明は 果たして合っているだろうか?
世界中の人からみても アメリカは Good guy なのだろうか?
そして良い人が殺され、悪い人が生き残る世界なのだという教え方も私には 非常に疑問だ。彼はどんな気持ちでこの言葉を理解しているのだろう?
幼児期という小さな子ども達を教えている私達は "There is no bad people in the school." (学校には悪い人はいないよ。)という教え方をしている。子ども達は モンスターがいる、おばけがいるなど 時々幼稚園でも怖がる子供がいる。または、他の子どもがそうやって脅したりすることもある。
だから、いつも 幼稚園は安全だよ、悪い人はいないよ、モンスターもいないよ、と 私達が今いるところは 安全なのだということをいつも話している。
ジミ―が"A bad guy killed a good guy." と言う事によって他の子ども達も悪い人っているんだ・・・と認識してしまう。家庭のことなので 私達教師が口に出すべきではないが、他の家庭によっては そんなこと子供に教えてほしくない、と思う家庭だって少なくない。ジミ―が みんなにそう話しているときっと他の子どもたちも そう言い出すだろう。そしてそれぞれの親はきっと困惑するはずだ。
"Jimmy,There is no bad guy." (ジミ―、悪い人なんて居ないんだよ。) と私がジミ―にいうと、
"Why? A gad guy killed people." (なんで?悪いやつは 人を殺したんだよ。)とジミ―は悲しそうな顔をして答える。私は 殺すとか銃などという危険な言葉は教えたくないし、子供の前では使わない。
"Jimmy,please understand me. We are safe. There is no bad guy in our school." (ジミ―、ねえ お願いだから聞いて。私達は安全なんだよ。悪い人はいないんだよ。)私は ジミ―に話していて、自然と涙が 目から溢れてきた。なぜだか とても悲しくなっていたのだ。私自身 この事件のことで精神的にとても参っていたのかもしれない。
"Why are you crying?" ジミ―は 悲しそうに私の顔を覗き込む。
小さなジミ―が 殺す、殺すという言葉を使うのが 私にはとっても悲しかった。悪い人はいないんだという安全な世の中を彼に与えられなかったのが悲しかった。
日本から見る今回の事件は、大変なことながらも それぞれの国がどう動くのか、ある意味第3者的な立場から米国とタリバンを見ていると思う。そして自分達の国の自衛隊はどうするか?在米・在中東 日本人達はどうなるのか?日本人死者は何人いるのか など日本人に絡ませた事をすごく心配していると思う。それは 当然だろう。
だが、在米7年近い私には いつのまにか「アメリカで起った惨事」が人事とは思えなくなっていた。
NYに住む留学生の友達が私にこういった。「私は日本へ帰ると思う。あなたも危ないから 日本へ帰ったほうがいいよ。」そのとき 私は「日本へ帰る」なんてことは全く考えてもいなかった自分に気づいた。
だって 私と彼が住んでいるのはアメリカ。税金を納め、定職があり住まいがあるのはここアメリカ。日本には 私達夫婦の帰る場所なんてないんだから。。。
留学生のうちは きっと「帰る場所は日本」であり、ここ米国は「テンポラリー(仮)」の住まいでしかないんだ。
だけど私と彼は ここで暮らし、そしてこれから人生50年以上 きっとアメリカに住むのだろうと思う。日本は実家のある場所であり、私の生まれた国、そしてそれは今の「帰る」場所ではない。。。
友達に言われて、やっと自分の中の意識に気がついたのだった。「日本へ帰ろう」というよりはここで「なんとかしなくちゃいけない。」という意識が強く、今回のテロ事件は私も精神的にまるで自分のことかのように参ってしまっていたのだった。だから ジミ―の一言で ドバ〜ッと溜まっていた涙が出てきたようだった。
私の生きる場所; それは 今は アメリカでしかありえない。
子ども達のアートも美術館のようにタイトルと 名前を付け、並べると素晴らしい作品になる。
子供の名前は仮名です。エッセイの内容と写真とは一切関係ありません
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